鷹匠としての活動
作品制作のモチーフとして鷹を自ら飼育し、猛禽類の生態に魅入られたことから、日本古来の放鷹術に興味を持ち修練を受けました。歴史ある日本放鷹協会の鷹匠の認定も受け、オオタカの繁殖、保護鳥の飼育にも取り組みました。 現在鷹匠として活動はしていませんが、彫刻家として猛禽類の生態の素晴らしさを伝えることで、文化遺産として認められている鷹狩りが、今後も守られ存続していくことを願ってやみません。
繁殖と飼育
専門の研究者や動物園でも難しいとされるオオタカの繁殖に何度も成功しました。その知見を活かして、フクロウなどの猛禽保護鳥のリハビリテーションにも協力しました。
鷹匠が現代に生きる意義
日本の鷹狩の歴史は1650年位前から続いていると考えられます。4000年の歴史を持つ放鷹発祥の地中央アジアやヨーロッパ大陸で行われきたのは、ほとんどがハヤブサを使った鷹任せの鷹狩ですが、平坦な土地の少ない日本ではオオタカによる人鷹一体(じんよういったい)の精緻な鷹狩が行われてきました。特に小張が資格を持つ諏訪流放鷹術では鷹を主人と思って仕えるように教えます。鷹の主体性を尊重し、鷹の意志に人の方が従うからこそ、格別に神経質で難しいオオタカをつかうことが出来るのです。地形や風土、考え方の違いなどから日本独自の文化を作り上げてきたのです。道具の美しさ、緻密さ他に類を見ないものです。
「鷹狩」は『ユネスコ世界無形文化遺産』に認定されましたが、 日本では国が鷹狩を文化として支援する方向には向いていないのが、大変残念です。
また、野生猛禽類の保護とリハビリテーションにも鷹匠の技術が必要です。人間の作った様々な人工物、電線や建物・フェンスなどで怪我をする鳥がいますが、獣医さんが傷の手当てをしてくれても、自分で生きてゆけるように訓練をして、獲物が獲れるまでにサポートしなければ、本当に助けたことにはならないのです。世界各地で鷹匠がそのために活躍しており、財団や国が後押ししています。日本ではその認識がまだやっと広がり始めたところという状態で、様々な方々が地道なボランティア活動を続けています。